ヨーガ関連キーワード
 

アドヴァイタ【Advaita】
非二元論。不二一元論やノン・デュアル( non dual )とも言う。よく言われる「全てはひとつ」の哲学である。真理は不変の意識であり、個の存在、私たちの肉体やこころは残影のようなものとされる。あるがままの意識に気付き、悟りに至る流儀。近現代で非二元論が説かれた文献としては、ラマナ・マハリシ、ニサルガダッタ・マハラジなどのものが日本語でも手に入る。古代〜中世インドにおいては、『 Yoga Vashistha 』(未邦訳)や『アシュターヴァクラ・ギーター』(邦訳有)などが代表的文献。アーディ・シャンカラの説いたアドヴァイタ・ヴェーダンタと核心部分は共通。
 また最近「ノン・デュアリティ」と言う呼び方で一部に流行っている西洋発の潮流があるが、アドヴァイタはその源流である。こうした西洋経由の「ノン・デュアリティ」の発展があるように、非二元論がインド固有の哲学というより、未来の人類のベーシックな哲学となりうる普遍性が含まれている、と直感している識者も少なくない。
 
タントラ【Tantra】
日本では密教と訳されことが多いが、重なる部分と重ならない部分がある。生の全面的な肯定が特徴。簡単に言えば、チャクラなど不可視の領域を活性化し、人間の潜在的な可能性をひらく流儀。実際のところ、タントラの考え方やスタイルは様々なものがあり、ひとつの流派ではない。南インドの寺院では、古代ヴェーダの延長にタントラ的な象徴学が取り入れられたシュリー・ヴィディヤなどの流派もある。ここにもアーディ・シャンカラの影がみられる。インドではシヴァ派やシャークタ派の行者たちのなかにその実践を見ることが出来る。タントラ的なチャクラ関係の瞑想の書籍としては『密教ヨガ』(本山博)が、経絡とチャクラの関連を科学的に研究されたりしておりひじょうに興味深い。
 西洋人や最近ではインド人でも、タントラを性的なスピリチュアル・プラクティスのことであると考えている方々が少なくない。しかし、そうした実践形態はほんの一部に過ぎず、それが全てではまったくない。しかも西洋的な解釈が多分に入っているものと思われる。また、ハタヨガはタントラの一部から発展したものであることは、よく知られたことである。
 
 

 
ワンダーヨーガ* につきまして・・・

喜びを持ってヨーガの深いところを探求したいと願っている現代の方々に向けてリトリートやワークショップを提供しているヨガ・イベント・オーガナイザーです。
 ワンダーヨーガ* は、2012年、大きな震災の後の年に始まり、今年2018年で7年目となります。不思議の瞬間、ココロがふと飛ぶ瞬間、そこに本来の自己が垣間見えるような一瞬の永遠、そんな些細なことをそっと大事にした時間や空間をご用意したいと願っております。
 講座内容につきましては、世の中で一般的に「ヨガ」と捉えられているアーサナだけでなく、インド哲学や神話や占星学、プラーナヤーマ(呼吸法・調気法)にもフォーカスし、特に瞑想やセルフ・リアライゼーションなどに関心のある方に向けた本格的な内容が特徴です。ヨーガ行法への伝統的なアプローチだけでなく、気付きと身体感覚を意識した現代ダンスとヨーガを融合させたような先進的なアプローチを行う講座も展開しております。
 また、インド音楽を通じたインド・カルチャーの紹介などを行うちょっと風流なイベント“バジャン・ミィ・ベィベェ!”なども開催しております。こちらは、近ごろお坊さんのやっているバーとかがありますが、ババ(ヨーガ行者)のやっているベジタリアン・スナックとでもいいましょうか。たまには、とらわれのない洒脱な夜でもいかがでしょうか。
 
主宰者は瞑想にフォーカスしたクラスを主に指導するヨーガ講師でもありますが、長年ヨーガの瞑想をつづけるほか、この十年は毎年インドに通っておりまして、その間にさまざまな経験を積ませていただき、むしろヨーガ行者のような者でございます。最近は音楽活動が熱くなっていたりもします。日本やインドでの思いもしなかったような出会いや導きから得た素敵な何かを皆さんとシェアしたいと願っております。楠原裕史(くすはらひ ろし)と申します。講師としてもオーガナイザーとしても、ヨーガの深きところを目指す皆さま方にとってより良いお手伝いが出来たらと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 そして、もう一人、共同オーガナイザーをご紹介いたします。島田真帆(しまだまほ)と 申します。彼女も毎年、インドに通うような本格のヨーガ実習者でありますが、即興的な現代ダンスに夢中になっていたり、自分のありようというものをよく理解して、いつも自分らしく自由にはばたいております。
 私たちは、 それぞれの方々がご自身のナチュラルなありように基づいて、各自の多様性を大事にして、それぞれが自分らしく良い感じだったらよいのではないかと考えます。 ヨーガの狭い解釈によって 、「ヨガをする者はこうあるべきだ」と言う考えはあまりありません 私たちオーガナイザーのそばには、いつも瞑想と音楽とダンスがあって、そのいい感じのところをシェアしたらいいのではないかなと思っています
 なお、カラダの固い柔らかい、アーサナの出来る出来ない、はヨーガの本質にあまり関係ありません。ヨーガの深いところに興味がある、瞑想をしてみたい、あるいは自由なココロになりたい、という思いと未知の領域に踏み出す一歩があれば十分です。型にはまらず自由にこれからのヨーガを深めたいと思っている方々とつながりたいと思っております